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2015年1月赴四天王寺大学交换留学生留学文集
发布日期:2015-01-29 阅读:
 

陈薇竹

学校的短暂冬休,我去了东京游玩。其中最令我印象深刻的应该就是浅草寺了。

来到浅草寺,最先纳入眼底的就是大大的“雷门”二字。雷门,全称“风雷神门”,从位置与功用上来说相当于中国佛寺里的“山门”,不过以风雷二神代替了哼哈二将,面目倒一样的狰狞,也许因为仅有两米多高的个头,气势上不如哼哈嚣张。雷门背面左右两边也各有两尊龍神像,头顶光环,较为平和。男性为天龍像,女性为金龍像。

穿过雷门,就是表参道。随着人潮涌动在仲见世通上,目光却一刻不停的打量着“广见世面”的琳琅满目的仲店。布伞、和服、灯笼、人形、人形烧……,不一而足。不自禁的就像飞离漩涡的水滴一样,钻进某家店面就流连忘返了。整条街的店面都插上了太阳旗和红白枝桠,还真似春日里百花争妍的热闹呢!

继续向前,便是第二道门:宝藏门。此时,五重塔也跃入眼底,渐渐清晰。从序列上的地位来说,宝藏门相当于中国寺庙的四大天王殿。

宝藏门为入母屋构造,本瓦葺,二重门。1964年以钢筋混凝土重造,面宽21米,进深8米,高22.7米,面阔五间,明间与次间为门洞,中央悬红色灯笼,略小于雷门的灯笼,同样字体写有“小舟町”三字。次间悬有黑色金边的灯笼。两侧的尽间安放有金刚力士像,开口型为金刚,闭口性为力士,因“二王”通“仁王”,故又名仁王门。宝藏门外观看上去为两层,实际上有三层,和蓟县独乐寺一样,上两层为收藏室,放置寺院的珍贵物品及佛具,这也是“宝藏门”名称的由来。檐下装饰以斗拱,且墙身以上的色彩,“面”的部分为白色,“线”的构件为红色,“点”的部分又漆以白色,没有其他任何装饰,这就是最日本、又最现代的风格。

接着就是浅草寺本堂。那一顶硕重的歇山顶扑面而来,立面上屋顶、墙身、台基的比例近乎3:2:1,多么震撼的比例!虽是重建,却见唐风。在中国,连仿唐古建筑都不多见了,泉州开元寺算一个。大多是仿明清的。穿过宝藏门,左侧便是地标性的五重塔。该塔原位于寺东,在1973年重建时移到了寺西。一样的相轮,一样的屋根,一样的尾棰,一样的风铎,只是已经是一座钢筋混凝土的假木塔了。即便如此,它仍然是日本第二高的寺塔,仍然是人们心中东京的象征之一。

我认为最漂亮的还是五重塔。五重塔为塔院式建筑群,塔身建于回廊式建筑之上,故共有六层。地上部分高53.32米,其中塔高48.32米,九轮高15.07米,较之德川家康时期建造的木构塔的41.04米高出了12米多。最上层安放来自斯里兰卡的舍利子,二、三、四层为信徒奉纳的“五轮宝塔”,塔院则为灵牌殿、回向室、信徒休息室、寺物所。

浅草寺真的是非常值得一去的地方。

林晓燕

时光流逝,转眼日本的留学生活已经到了尾声。我从的心情最初的紧张与不安渐渐变成了不舍。

我们是和日本的学生一起上课,这对我们来说有点勉强。还好几乎所有老师都体谅留学生,所以故意放慢说话速度,并且使用简单易懂的词汇。但是,日本文化史的老师是个例外,很严厉,她把我们和日本学生平等对待。她的课上尽是佛像的名字和佛教专业术语,能听懂百分之二、三十对我来说就算很好了。庆幸的是上过几次课后,我发现专业术语其实就那几个,而且即使是新的单词,在发的讲义中也会出现。所以记住经常出现的单词,预习新的讲义后,总算是大体明白了老师的话了。

经常有日本的人问我为什么想去日本留学吗。最大的原因是想让自己的身心得到一下锻炼。我是独生子,从小被宠着所以独立能力很弱。因此,利用来日本这个机会,我要锻炼自己,也为将来的就业做准备。日本的物价很贵,菜也吃不惯,所以,我要自己煮饭煮菜。而且与以前不同,不能一直从家人拿生活费,我必须理性开支,家务也只能靠你自己。现在的我可以一个人生活,连拖延症也开始好转。

说到打工,刚开始的时候,我作为一个新人只能做一些杂活。不用说日语,只要安静安静做自己的事,我想一直保持这种状态。当然,那是不可能的。第一次接待客人的时候我非常紧张。前辈说接待客人首先要保持平静,可我还是太紧张犯了很多错误。还好前辈们对我们很宽容,让我见见放宽心。那之后,我渐渐熟悉了工作内容。记得有一次一个客人用中文跟我说很好吃的时候我又开心又感动。现在我在工作上游刃有余,而且看到客人满足的笑脸,我就会有一种自豪感。可惜我在日本只有半年,而且已经大四了,可能无法再体验打工生活。不过有这样的经历,我觉得没白来。

在日本期间,不仅日语能力提高了,也认识了很多日本的朋友。作为外国人,对于日本文化和礼节知道的很不多。后来日本朋友带我们去了许多地方,例如京都、神户等。这些都是我珍贵的回忆。留学生活就要结束了。有开心,有痛苦,有欢乐,有悲伤。正是因为这些,让我体验了与以前不一样的生活,学会了很多东西,让我长大了不少。

陈萧妮

 今回の留学に初めて一人部屋で住み始めはした。ここから日常生活はこんな大変なことだとわかりました。普段、学校から帰って、コートなどを脱いで、部屋着を着替えたら、すぐ脱いだ服を片付けないと、置いたまま服はすぐ山のように積み重なっていきます。食器も使い終わった途端に洗わないと、流し台がすぐ埋められます。悪い習慣は小さいところから注意しなければ、一旦適応したら、直しはとてもむずかしいです。アルバイトを見つかった前、毎日自分で料理を作っていました。初心者ですけど、作れば作るほど上手になりました。興味もだんだん深くなりました。作った料理の写真をインターネットでアップロードしたら、友達にもよく褒められました。アルバイトがあった時から、日常生活はとても忙しくなりました。

 バイト先は寮から15分ぐらいの歩きで見られるFlourというパン屋です。外見は灰色の二階建の建物で、朝から夜までオレンジ色の光が光って、温かくて近所にはとても人気がある店です。私は同じ留学している沈さんと一緒に二階の工場で働いています。働く時間が長いですけど、気持ちはいつも明るくで楽しいです。Flourでのバイトは人生初めて給料がもらえるバイトです。ここで知り合いになった課長や和田さんや今田さんや神田さんや荒金さんや堀さんや藤田さんや朝さんや清川さんや上杉さんや雪渕さんやフィリピンから来た四人の女の子やフランスから来た三人の男の子などはみんな親切な人です。彼らがいる時部屋にはいつも賑やかで笑う声がずっと続けています。特に課長と和田さんがいちばん好きです。課長は中國のことがすきで、中國へ来たことが何度もあって、浙江省には中國人の友達も五人います。この上に、課長自身も中國を喋られて、私たちが一日中バイトを始める時いつも中国語で挨拶をしています。課長がいる限り、安心しています。和田さんは今年27歳のとても可愛い女の子です。バイトを始める時から、ずっと私を連れて、いろいろなことを教えくれました。彼女は注意深い人で、他の人がみんな注意していないところまで教えて、まるで私がずっとこの工場で働き続けるようです。彼女と務める間に注意深いことの重要性もだんだんこころに込めました。今回のバイトに、時間を守る習慣を身につけて、動作のスビートを上げて、雑役を熟練して、パンについての包装や運び方やシールを貼る方やエージレスの入り方や番重の洗う方やトレーの洗う方や鉄板の並び方などを十分慣れました。心の優しい人の力と光がわかたことが何よりです。自分も将来、他の人の心を温める人になりたいです。

今回の留学には、私、本当に成長しました。全部の出会った人に感謝したいです。一層日本がすきになりました。

冯珊

  中国には「万卷 行万里路」ということわざがあります。勉強というのは本を読むだけではなくて、ちゃんと生活からいろいろ学んで、勉強した本を生活の中にいかせるのは一番の勉強です。大学に入ったから三年間、ずっと日本語を勉強しています。「日本のことをもっと知りたい」、「本物の日本を見たい」、「自分の勉強した日本語をもっとうまく話したい」…心は希望と期待が満ち溢れて、今回のチャンスを利用して、日本に行きました。

 日本に来てから分かるものはいっぱいあります。「生活はもともと本である」という言葉がよく聞きましたが、本というより、『生活』という名の本はもっと難しく、もっと深いです。

 来てからの一番の問題はゴミ処理です。日本のゴミ処理はとても細かくて、ルールがいっぱいあって、初めの頃はどうするのはぜんぜん分からくて、ゴミという存在まで怖くなってきました。「郷にいっては郷に従え」いやでも勉強しなければならないものがいっぱいあります。

 日本にないしての第一印象は「きれい」です。思ったよりもっときれいで静かな国です。第二の印象は「やさしい」です。どこの店員みんなとてもやさしくて、サービスもとてもよっかたです。ゴミの処理から店員のサービスまで、どちらも勉強できます。こんなのも留学成果の一つに違いないです。

 平日の授業は「観光文化地理」、「日本文化史」、「サブカルチャー論」、「日本のビジネスマナーと文書」、「日本文化論」、「小論文作成法」、「日本語」、「日中翻訳の理論と実践」あります。日本人と一緒に授業を受けるのは紛れもなく国際交流の一つです。井の中の蛙は自分の目が見た空だけ知っています。井の中から出かけないと、外のことやものは知りかねます。確かに、出かけたあと、見た正解は思った世界とぜんぜんちがっていますかもしれません。喜びの気持ちもがっかりする気持ちも同時に存在していますが、出かけないと、一歩前に進まないと、なにもみえません。日本人との授業もそういう感じです。確かに勉強したことはいっぱいあります。特に「日本のビジネスマナーと文書」という授業で、日本のビジネスマナーいっぱい勉強しました。その授業は特別な教室におこなわれています。教室の中の机のうえに一つずつ電話が置いております。授業は本に拘っていません。電話受けたり、メモしたり、クリスメートと練習したりして、緊張の気持ちからだんだん慣れて、応対もだんだんうまくいきました。でも、すべてはプラス面ではなくて、日本人学生の授業に対しての態度はあまり好きではありません。よく授業サボったり、遅刻したりして、授業中もそのまま寝っていって、正直、初めて見たとき、びっくりしました。

 平日の授業以外、一番勉強するところはバイト先です。私のバイト先は居酒屋です。メニューの暗唱から日本の食文化、客に対するサービス、敬語の使い方、食器の使い方、どれもこれも改めて勉強しなければならないものです。うちのママさんよく言うことは客への思いやりです。お客さんがなにが欲しいか、自分の目で見て、お客さんが話す前にちゃんど用意しておきます。そういうものは生活の中しかわからないものです。

 日本での留学は短いですが、学んだことはいっぱいあり、学校の先生もとてもやさしいです。特に在日の中国の先生は先生というより、家族みたいな存在です。一緒に食事したり、餃子も作ったりして、とてもたのしかったです。

 i-talkの佐沢さんもとても面白くて、やさしくて、私たちのお姉さんみたいです。佐沢さんの関西弁もとても面白いです。学校の警備員さんも毎日私たちと話して、なんだかとてもかわいいおじいさんです。

日本で体験した日々は今後も忘れません。人生一番の宝物です。

何佳怡

時間の経つのはほんとうに速い。2014年、私たち十二人は学院の交換留学のチャンスを手に入れた、日本に来ることが決った、そして、九月の十一日、大阪に着いた。私たちは大阪府の四天王寺国際仏教大學の学生になって、半年の日本生活が始まった。生まれたの二十二年間、初めて母国を離れて、外国に行って、ほんとうに大きな挑戦と思った。まだ来たばかりな感じするのに、もうそろそろ帰るの時間である。日本に行った日の光景が今までも目の前に浮かぶようで、あのときのドキドキな緊張感もさきのことのようをはっきり覚えている。でも、この半年の日本での留学生活はあっという間に、最後になった、半年と言うのは、実は短い。

大阪へきたばかりのころ、天気はまだ暑かった。しかし、青い空と白い雲、そしておいしい空気は私にとってはとても久しぶりだった。私たちが生活するところは羽曳野市というところだった。寮は日本人の住宅団地の中にある。交換留学生の専用な和交寮という建物である。この寮は二階建て、あまり大きくなかったが、壁は白くて、家の前には小さな庭さえもあって、とても綺麗だ。

私はほかの三人で一緒に一階の和式の部屋に住んでいた。四人で生活する。部屋にいるときはいつもにぎやかである。

四天王寺大学が私たち交換留学生のために開設した課程は浙江工商大学日本言語文化学部の課程と同じように、日本文化、日本経済、日中翻訳などの科目を含んで、ほかには、観光地理やビジネスマナーなどの科目もある。。それらの中で、日本人の学生さんと一緒に受ける授業がある一方、私たち十二人で受ける授業もある。そのような形式により、日本人の学生たちと交流することができるだけではなく、私たち交換留学生の語学レベルによって効果的に授業を受ける事ができた。

もっと日本の日常生活を体験したいので、ここでアルバイトも探した。でも、交換留学の時間は半年しかないの原因で、アルバイトはなかなか見つかなかった。こちらの先生の協力で、やっと、清月というの日本料理の店で働きことを始めた。店の皆も優しくて、最初は仕事のことぜんぜん分からなくて、よく間違った、彼らは一つずつ教えて、ほんとうに心から感謝してる。アルバイトの時間は午前と夜もある、店のオーナーはよく店員の私たちにおにぎりや天麩羅をくれて、ふだんはラインでもはなしてる、とてもいい人と思っていた。

ここの学生たちもとても優しくて、私たちを連れて日本の伝統なだんじり祭も見に行って、そして、十一月で、京都へ行って、紅葉も見た。羽曳野市の国際交流中心の活動で、秋の遠足して、蒲鉾を作った、専門の作業員に褒められた、姫路城も行った、楽しかった。この大學の学園祭も体験した、いろんな日本っぽいの活動を見た、いい体験と思った。

今、この半年を振り返ると、半年のことはあっという間な感じで、もっと長く滞在できれば良かったのにと思っている。その半年で、自分はまだ不足があり、もっと頑張ってなければならない気がした。これからも一生厳命で頑張る。

李沁

 ここでもう四ヶ月ぐらい経って、日本の様々な文化を体験して日本のことが少しずつ分かってきました。聴解能力と会話能力もだいぶ良くなってきました。その上、日本人の友たちもできてとても嬉しいです。

 日本に来たおかげて、教科書に書いていない日本語の使い方もたくさん勉強できて、来て本当によかったと思います。学業の方はかなり進んでいます。初めの頃は先生の喋っていた日本語が早すぎて分かりませんでしたが、今はほぼ慣れてきたので、大丈夫です。四天王寺大学の先生から日本についてのことをたくさん教えていただいて大変勉強になりました。

 恥ずかしいですが、日本に来る前に、私は中国の仏教は全然分かりませんでした。日本に来て、仏教の授業を受けて、中国から流れた仏教文化の面白さに初めて気づいたのです。それから、日本文化論の授業を受けているうちに、私は日本文化の寛容性に感心しました。日本文化は単なる異文化の集まるりではなく、様々な国の文化のいいところを取り入れた上で生み出してきたものだと思います。「和魂漢才」という言葉からも日本文化の正体が見えるではないでしょうか。漫画文化にしでも宗教文化にしでも日本人は国の文化を大切にしていることは授業中いつもしみじみ感じました。その他、小論文作成法の授業を受けるたびに、小論文を書きますので、日本語の書き能力も前より上がったことを感じました。学校の授業で勉強できたことはそれだけではなく、ほかにもたくさんあります。例えば、日本人の丁寧なビジネスマナーと文書の書き方とか。中国語を日本語に訳す時の注意すべきところとか。日本における世界遺産とか。

授業のほか、私は日本人の友たちと会話したり、外へ出かけたり、図書館へ行ったり、面白いテレビ番組を見たりして楽しく日々を過ごしています。ここで最も言いたいのは日本のサービス業の丁寧さです。実はこの前、電車に乗っている途中、うっかりして電車の切符がなくなりました。それを駅のスタッフさんに話して、彼は切符の出発点と値段を聞いてた後、お辞儀をして、「気をつけて帰ってください」と言いました。あの時、私は言葉もできないほどびっくりしました。ここで、日本のサービスの暖かさを痛感しました。

 アルバイトをしてもう三ヶ月が経ちました。初は日本人と中国人の考えはずれがあることを心配して、随分心細かったのですが、今は慣れてきてました。

 バイト先のみなさんはたとえどんな忙しい時であっても、お客さんのことを第一位として考え、いつも笑顔で元気いっぱい働いています。たとえどんな辛いことがあっても、お客さんの前には絶対出しません。私は心の奥底から店のみなさんに感心して、自分もそのような素晴らしい販売員になるために頑張っています。

 日本に留学しに来たおかげで、自分は前より独立になってきました。毎日買い物をしたり、料理を作ったり、スケジュールをたてたりして、充実な日々を過ごしています。大晦日の日、私は自分で作った年越しそばを食べながら、紅白歌合戦を見ていました。毎日の生活は忙しいですが、満足だと思います。

瞬く間に、留学は終わるところです。これから、残りの日本にいる時間を大切にしたいと思っています。

沈玮君

日本にきてからもう四ヶ月だ。時間が水のようにたっています。日本文化を学びたい、日本の生活を体験したい、日本語をよく勉強したい、言葉能力をうまくするように日本に来た。この四ヶ月に日本に来る目的は達するかどうか自分だけわかる。毎日日本語で日本人と交流しなければならない、日本人の先生が日本語で授業しますから、三年間勉強した日本語を実際に活用して日本語がある程度にうまくするようにしたと思った。

 四天王寺大学は仏教の大学だから、仏教の授業がたくさんあって、中国の仏教だけでなく、日本の仏教も勉強した。両国の仏教の異同を勉強できて、よくうれしいだ。そのはか、日本史論、日本文化論、ビジネスマナー、日本地理など授業があり、豊かな留学生活の欠かせない部分になっていた。そのなかに、ビジネスマナーという授業が一番すきだ。先生はとてもやさしくて、そして、ビジネスのものを教えて、授業で繰り返して練習しますから、いい勉強になっていた。将来の就職によく役に立つだと思った。日本地理の授業は中国の地理授業と違って、先生が日本全地域を分かって所によって文化と名物を紹介して授業する方法が好きだ。授業はもうすぐ終わりますから、最後まで勉強して試験と論文を準備しなければならないだ。いい成績を取るように力を出さなければならないだ。

 日本の留学生活は豊かで、毎日充実していた。中国の生活と違って、毎日自分で料理をしていた。留学した前にあまり料理ができない私は今楽に美味しい料理ができて、大人になったと思った。友達と一緒手料理を作ることは一生忘れないことだ。自分で生活するなんか日本にきた前に思わないことだから、そのぐらいならもう満足した。日本の姿をよく見るように、奈良、難波、梅田、東京、京都など旅行して喜んでいた。地域によって日本の面が見えて、東京のにギヤがさ、京都の静かさ、心にいい印象に残した。日本の先生だちはよくやさしくて、留学生にご馳走して、パーティーをして、日本人と中国人の友好関係をするようにみんながんばっていた。学校のi-talkという交流場所で日本人と交流して、お互いに勉強していた。日本人の大学生から社会に勉強できないものを学ぶことができだ。交流の他に、i-talkで日本のドラマをダンロークして日本語を勉強した。時間があれば、ジョギングをして日本の朝の空気を食って素晴らしい一日をはじまりまった。

日本の留学生活はアルバイトが大切な部分だ。一所懸命アルバイトを探してから、十月にやっとフラワーというパンの店でアルバイトをはじまりまった。製造部に力を全部出して、役に立つ社員になるため一所懸命働いていた。課長はとても優しい人で、中国が大好きだ。課長は中国人に十分友好して、私のよくわからない所は親切で教えてくれた。他の社員も私によくして、娘のように愛想した。アルバイトの内容もやさしくて、板洗いと番重洗いという仕事はあまり毎回して、完璧にするように全力働いていた。二ヶ月アルバイト生活が日本人の慎重さをよく分かった。細かい所までしてものを完璧まで仕事した。時間を守る日本人が私に良い授業をして、深い感銘を受けた。楽な雰囲気で働くことは夢のようなものだと思った。アルバイトして、給料を受けて、自分の力で生きることは人生の物ではないか。いつも女性が自分の力で生きることは夢だ、人生の意味だと思った私は日本で人生の一歩を踏まえた

王晓圆

留学する前、ぜひ知識を身につけるように一生懸命頑張りたいと思ています。でも,日本へ来た後、知識だけ習うと,まだ不足と思ています。留学の成果はたくさんあります。まずは自分で処理する能力が強くなりなした。外国ですから、親と先生たちはそばにいない、どんなことがあったら、全部自分で処理します。国内にいる時、甘やかされすぎると私はわがままになってしまた。問題があったら、すぐ親に頼んて解決します。始めた時、ちょっとれないです。でも問題がある時、やはり自分で屈に直面します。自分を正確に認識して、ほほえんでいて人生に直面します。

 次は価値観の端正することです。留学する前、親からお小遣いをもらで、自分の力でお金をけることができないですが、のんきな生活をしているの私は、お金の意識はあまり強くないです。でも、留学する後、密に算することになりました。為替レートは毎日変わています。私はずっど留意しています。日本円は人民元より安いです。でも日本の物価は高いと思ています。例えば、林檎1コ、中国は2元、日本では398円,約4元です、2倍の差別です。この差別はずっど私におもさせています。買い物の時、買いたいものをよく比べて、よく考えて買い得くの商品を買います。これは私の変化です、これは留学生活から授けました。この変化はとても有意なことです。私は今、お金のことに盲目しないです。どうしたら限りのお金を利用してしっかり遣りできることが考えはじまりました。財政の処理の能力と価値観を身につけました。

 次は見聞を広めることです。留学することは留学生にその国の生活を体験することを与えて、留学生は日常生活と勉強生活から、いろいろの面からその国と自分の国の間違いことを分かります。ある言葉があります。一万巻のを読むより、一万里步く方がいい。日本にれる同時に日本の自然景と人民景の魅力に引きつけられています。

 日本に来た後、生活習慣も変わりました。普通の時、私は自分の寮で料理を作ります。家にいた時、ずっどははが料理を作て、私は食べばがりでした。始めた時、私が作った料理はまずいです。私の食欲もよくなくなりました。その後、私はインターネットでメニューを探して、よく作るとおいしくなりました。

 わたしはアルバイトーがしませんでした。日本に来ったばがりすぐアルバイトーを探していました。でも、たぶん日本語もよくないし、滞在の時間も短いですから、采用されながった。インターネットで履歴を出すのこともさっぱり音信がない。今はただ1ヶ月だけ残ります、やっぱりやめろうとおもています。

 四天王寺大学は私たちの留学生のため、いろんな授業が立しました。その中、観光文化地理は一番好きです。先生も優しいです、授業の内容もとても面白いです。授業の中に、学生たちはグループに分けて、自分が味を持っている料理を紹介します。私のグループはよく考えて、西湖酢魚を紹介しました。この料理は体表性があると思いました。翻訳授業も好きです。先生はたくさんトラべローグがあります、私はそれをきくことが大好き。

 四年生ですから、卒業論文のことを考えなければいけません。留学は論文のインスピレーションを探すことに進め作用があります。私は学校の図書館にいろんな料を探して、論文のおおよその方向が決めました。

私たちの留学生は、よく会議をして、生活と勉強の問題を出す、中国の先生たちに連絡して、問題を解决して、よく生活をしています。そのほか、私たちは毎月留学の感想文を書いています。留学の生活をよく記録しています。

王越

来日してから、瞬く間に4ケ月半が過ぎた。あっという間に、四天王寺大学での留学生活が最後になったのは本当に速いと思う。日本の友達と一緒にいろいろな活動を体験して深く感銘を受けた。こころから感謝している。

四天王寺大学を初めて訪ねたのは9月13日のことだった。日本の学生との出会いを楽しみにしていた。まずは自己紹介だ。正直に言って、こんなに多い日本人のまえで、また日本語で自己紹介するときは非常に緊張していた。授業中はもちろんすべて日本語で話している。最初、日本人の学生と一緒に授業を受けるのはすこし心配していた。しかし、先生は話しスピードを落として、親切に説明していただい、心配する必要はぜんぜんない。とくに、観光文化地理を教えていた峯俊先生は毎回授業を始まる前に、わざわざ留学生のために、日本各地の地図をコピーして私たちに配る。また、サブカルチャー論の今田先生は中国の漫画についてよく留学生に質問し、日中文化の異同点を説明し、和やかな対話の雰囲気を醸し出せる。日本語の堀内先生は勉強意欲をかきたてせるために、いろいろな形式を組み立てた。たとえば、自分の故郷について発表するとか、事件について二つのチームに分けて弁論するとかある。授業中、もっと話す能力をアップさせるために、ほかの日本人の学生を誘って私たちと一緒にコミュニケーションすることもある。後は、日本のビジネスマナーと文書を教えていた金岡先生は本物の職場を真似るために、毎回特別の教室を借りる。先生も優しいし学校の施設もいい。何と言っても、ごごで勉強していた日々はとても楽しくて充実だと思う。そのほか、12月7日に日本語能力試験1級をうけた。良い成績を目指して精一杯頑張った自分に褒めしたい。

日常生活について、この土地の習慣にだんだん慣れてきたので、とくに大きな問題はないと思う。最初はよくみちを迷ったことがある。その時、まわりの日本人に道を尋ねると、いつも親切に教えてもらえる。その日、あるおばあちゃんがとても優しくて、自分の車で目的地まで送ってもらった。その時は本当に感動していた。さすが日本だと思った。自炊の生活は初めてなので、最初は少し不案内だから、今はもうその新しい生活になれてきた。友達と一緒に買い物し、料理を作るし、楽しい日々を暮している。

アルバイトは学校で勉強するのと同じ、真面目な態度と勉強熱心がとても重要だと思う。私は飲食店でホールスッタフという仕事をしていた。基本的な会話より、お客さんとの会話で敬語を使わなければならないのは最大のチャレンジだと思う。三年間ぐらい日本語を勉強しても、やはり正確的に敬語の使うのは難しい。しかし、何度も練習したら、一緒に働いていた先輩に尋ねたら、ようやくうまくなった。店長から「日本人の友達が学ぶ事が多いと感じました。接客の中で、日本の文化を理解して、真面目な姿勢と勉強熱心な点はこれからの人生に役立て頂きたいと思います。」という評価をされた。

最後に、日本で留学しても、ずっとうちの大学のことに関心をもっている。わたしは毎日ミニブロックとウェチャットで浙江工商大学のニュースを読んでいる。それに、月一回留学の感想レポートを出して、学院の先生に報告する。先生からたくさんなお世話になって、感謝いたしている。

つまり、四天王寺大学に留学してきたのはとても有意義だと思う。一人暮らしの生活を体験して、京都や奈良などの名所を訪ねて、日本語をレベルアップしただけではなく、経験に富んで見聞も広められた。この美しい思い出は私にとって、大切な宝物である。

徐旦青

2014年9月11日、二時間を経て日本の土地を自分の足でしっかり踏みしめたことは、まるで昨日のことである。半年の留学生活はあっという間に過ぎてしまいた。授業と日常生活の両方で日本語を勉強し、日本社会を体験することができただけでなく、半年の留学生活の中で色々な貴重な体験もできた。

 ある国の言葉と文化を勉強するには、自分でその国に行き経験せねばならぬとある人はそう言っていた。私もそう思う。そして、大学で最後のチャンスを乗って、留学という形で半年ぐらい日本に留学した。

 四天王寺大学が私達留学生のために開設した課程は浙江工商大学日本言語文化学部の課程と同じように、日本文化、日本語、日中翻訳などを含んでいる。それらの中で、日本人の学生さんと一緒に受ける授業がある一方、私達十二人で受ける授業もある。

授業を受けることだけで、他の課外活動はほとんど何もありません。先生達は多くの活動の方案を制定し、日本の学生と私達が一緒に活動できるように、中日の学生の交流の場を準備してくれ、また一方では私達の課外活動を豊かにしていた。

また、日本のサービスはとても周到である。買い物に行ったら、店員さんの笑顔がいつも素敵だ。釣りを出す時は、ちゃんと一枚ずつ数えながらお客さんに渡す。それはどんな店に行っても同じである。雨の日は買った商品にふくろビニールを付けて、渡す。それが一番印象に残った。

 大学祭はただ日本のドラマで見たことがあっただけでしたが、やっと自分も体験できることになりました。京都や東京なども旅行して、日本の他の魅力を体験しました。関西と関東の違うところいろいろある。藤井寺市の国際交流協会のおかげで、かまぼこの作りえを体験して、工場で見学して、姫路城を観賞した。毎月留学の感想を書いて、学校の先生と連絡している。卒業論文のために、日本語の資料もさがす。ここはたくさん日本語資料があって、探しやすい。

日本の学生はほとんど皆バイトしている。社会経験を積めるだけでなく、新しい人間関係の形成や責任感の向上にも大いに役立る。11月に私もバイト生活を始めた。応募したところは矢羽野先生から紹介した居酒屋である。経験がまったくない私は酒を間違ったりとか、お客様が欲しいものが探せなかったりとか、よくミスをした。でも店の人はいろいろ親切に教えてくれて、私のミスを直してくれた。またバイト先の店長から中国が現在直面している一番の問題は経済発展と環境保護のバランスを考慮することにあると言われた時、自分の気持ちは複雑だった。自分の国に様々な問題があると分かっていても、なかなか口に出せなかった。半年の間いろいろな人と出会って、その中の一部の人とは一期一会かもしれないですが、私はきっと彼らのことを私の宝物として、忘れずにずっと覚えていることでしょう。

张丽菊

ある国の言葉と文化を勉強するには、自分でその国に行き経験せねばならぬとある学者はそう言っていた。それも私が日本へ留学するもっともな原因だ。

半年間の日本での留学生活があっという間に過ぎてしまった。日本に行く前、留学をする甲斐が果たしてあるのかどうかずっと迷っていたが、今もっと長く滞在できれば良かったのにと思っている。一つの言葉を勉強するのには、その国についていろいろ学んだりしても、実際に行ってみないと、抽象的なイメージに過ぎないと思う。

行く時は、今回の留学が自分の語学力のアップにどのぐらい助けになるのかぐらいのことしか気になってなかったのだ。今考えると、語学力の上達はもちろん重要だけど、私が一番大切だと思ったのは実際に自分の目で見たり、心で感じたりして、様々な日本人と接することができたことだ。日本人の考え方についてもいろいろ勉強になった。

実は、日本にきたばかりの時、日本語があまり話せなかったし、困惑した気持ちがあって本当に生活していけるのかと不安を抱きながら3ヶ月を過ごした。

その後、日本語が話せて、友達ができて、生活の中に活気がすこしずつ増えるようになった。日本人との交流や町の行事の参加などを通じて、日本人の考え方、社会に対してすこしずつ分かるようになった。

私たちの科目はうちの学校と一致しなければならなかったので、四天王寺大学での科目もほとんど規定された。全部8つの科目がある(日本文化史、日本のビジネスマナーと文書、日本文化論、サブカルチャー論、小論文作成法、観光文化地理、日本語、日中翻訳の理論と実践である)。その中で簡単な科目も難しい科目もある。日本文化史と日本文化論は一番難しい科目だと思う。仏教の大学ですから、先生たち教えた内容はほどんと仏教についてのことのだ。それは私がよく分からない分野である。しかし、難しいは難しいけど、私もだんだんなれた。授業には一生懸命ではないですけど、ちゃんと授業のルールを守っていて、宿題も期日とおり出す。

また、11月13日、卒業の実習の単位を取るため、私は人生初の仕事を始めた。仕事先はある居酒屋だった。寮から自転車で大体20分かかる。実は、日本に来たばかりで、うまく会話ができないうちに仕事をもらえるのは、本当にありがたいと思う。外国人は雇ってもらえたら、とにかく一生懸命取り組むはずですよ。私は、自分の働く店が盛り上がるように、日頃からサービスをしたり、笑顔を絶やさないようにしたりして頑張っている。初めに給料をもらったとき、私はうれしくてたまらないだ。そして、3ヶ月ぐらいのアルバイトの経験を通して、私は日本人の生活に一歩近づいた気がした。

留学グループリーダーとして、私月1回12人の会議を開いてみんなの近状を了解する。また、少なくとも月2回学院の指導教員と連絡して、私たちの状況を報告する。m四天王寺大学の先生と職員さんからもらったこともちゃんと他のメンバーに伝える。もう四ヶ月ですが、みんなの生活も学習も順調している。時には問題があるけど、みんなと先生、職員たちの支援によって解決した。

半年の時間は短くないですけど、何か早く過ぎていった感じもあります。半年の時間に、嬉しくって、楽しくって、時には寂しかった。半年の間、いろいろな人と出会って、その中の一部の人とは一期一会かもしれないですが、私はきっと彼らのことを私の宝物として、忘れずにすっと覚えていることでしょう。

钟梅洁

 日本に来て四ヶ月になる。日本の生活はだんだんに慣れてきた。

 四天王寺大学の先生は優しくて辛抱強い。学校の授業で日本の文化と歴史をより具体的に勉強することができる。日本語も大分わかるようになった。日本に来て、最初の印象は、交通のルールをみんながよく守っていて、車多い割りに交通事故は少ない、スムーズに流れていると思う。でも、ゴミを捨てることが私を苦しめている。中国でこのような詳しいルールがなくで、ゴミの分別習慣が日本人より弱い。四天王寺大学が仏教大学なので、日本の仏教と道教についての内容は勉強した。中国の仏教と日本的な伝統仏教の関係が密に連絡する。日本会社のビジネスマナーと文書の授業もある。先生はすごく面白くて優しい。大学祭りも豊かだった。

 日本の軽食に興味があるので、私は居酒屋のアルバイトを探した。ママさんは留学生に親切だ。いいアルバイトを手に入れると思った。仕事の一番の内容はホールである。中国でアルバイトをすることがなくで、レストランなどの飲食店のマナーはぜんぜんわからない。でも、ママさんはいつも基本的な仕事を辛抱強く教える。お客さんも中国人に熱心だ。料理の名前と魚の種類が複雑で覚えるころもいっぱい。アルバイトし始めたときはとても大変と思った。でも、お客さんと交流で自分の日本語もだんだんに向上した。日本人と日常生活の内容をしゃべれる。ママさんは中国にきたことがある。中国の文化と中国の料理が大好きと言った。私の先輩、日本に留学したとき、この居酒屋でアルバイトした。ママさんはこの先輩の披露宴に中国に旅行した。アルバイトをする中で、いろいろな日本人のマナーと習慣を勉強した。本当の日本的な社会を接触した。

 冬休み、友達と一緒に東京に行った。東京と大阪はぜんぜん違うと思った。銀座はすごく立派で綺麗だ。ほかには、東京人の日本語の発音も違う。標準語と大阪弁の差別を感じた。でも、東京と大阪の優しさは一緒だ。大阪より、東京の交通はとても複雑だ。東京駅は大きくで、道に迷った。もちろん、私たちは東京タワーに行った。今回は私の初めての東京旅行で、私にとって目を見張るような経験だ。自分の専門は日本語なので、今まで、日本語だけじゃなくて、日本の歴史や政治や文化についても学んでいる。そのため、一年生から東京に行きたい。今回は自分の夢を実現した。

 でも、東京にいる間に困ったこともあた。東京人の速い話し方を理解するのは本当に難しかった。また、即答できなかった。年寄りのアクセントがわかりにくい。自分も日本語を話すことに自信を持ちなかった。今は日本人のような日本語を話せるようになることを強く願っている。

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